180秒ルール~時間間隔~

パンっとスタートの号砲がなる。生徒たちが100メートルを走り切る。息が荒い。荒い息のなか、また、スタート地点に歩きながら戻って行く。そして、また号砲がなる。生徒たちは2回目を走る。その間、180秒である。

「180秒ルールが効果的ですよ。十分な時間ですからね」

こう言うのは、大学の陸上競技の指導教授だ。彼は短距離走を担当している。大学に200名ほどの短距離走の競技者がいてその指導に当たっているのだ。

「180秒あれば十分に休めますよ。180秒って結構、長い時間ですよ。この“長い”時間が大事なんですよ」

 

【時間を長くするために】

180秒って、冷静に考えてみたら3分だ。3分と言えば直観的には短い時間だと受け止めるのではないだろうか。ラーメンが3分でできるということは“時間の無駄がない”と考える。ウルトラマンが3分だけ怪獣をやっつけるのは“急がなきゃ。時間がないぞ”と考える。少し前には「待ち時間は3分以内」という銀行もあり、預金者は“すぐ”できるって考える。

指導教授は言う。「3分だと時間を短く感じるでしょうね。だから3分ではなく秒単位で考えるのですよ。1分60秒なら3分で180秒です。180秒は十分ですよ。一度、数えてみてください」。

確かに、筆者が180秒を経してみると180秒は長い。180秒間、何もすることがないと180秒を長く感じてしまう。ただ数えていると、数えることだけに集中することなく、いろいろと考え始める。

何を考えるのだろう。指導教授によると「100メートルを走り切った生徒は呼吸が激しい状態が40秒ほど続きますが、徐々にもとにもどり、70秒ほどしたら呼吸は正常になります。そこから心が動くのです。走り方の何が悪かったのか、どう改善すればいいだろうかを心が動いて考えるのですよ。180秒はとても長い時間ですよ」。

 

【時間感覚】

指導教授によれば、この180秒は長年をかけて見い出した時間間隔でもあり時間感覚だという。生徒は100メートル走の結果を反省して次につなげるのだが、反省の時間が1時間とかを費やすと、指導者たちが教育的指導を行い過ぎ、自分で考える余地がなくなり返ってマイナス面も出てしまう。時間が長すぎるのはマイナスだ。しかし、短すぎては反省もなく、また同じことをくり返す。自分自身で考えて、自分自身で自分の成長に結びつける最適な時間が180秒なのだ。

同じことは会社にもあてはまる。今、オンラインでのコミュニケーションと言う新常態においては、非対面ゆえに自分自身で反省点を見出し、自分自身で解決策をさぐるという自分とのコミュニケーションの重要性が増すのだ。

「そう言えばやりかけていた仕事はこう解決すれば簡単にできるな」とか「あの時、部長が言ってたことは、まあわからないでもないな」とか「ともかく、もう一度頑張るか」といった自分とのコミュニケーションで、次に向けて走り出すことができるのが180秒なのだ。

オンラインの新常態では自分ひとりという状況は当たり前になりつつある。当分は対面状態が常態化はしないであろう。この、状況において必要なのは自分自身での、対峙する自分とのコミュニケーションだ。この新たなコミュニケーションの新常態への対応が成功に結び付く。

社会人に100メートルは厳しいが、30メートル走あたりをお近くの公園で試すと心がすっきりするかもしれませんよ。