あざとい心入テクニック~心に入り込む~

年賀はがきが届いた。丁寧に、自筆で書かれている。

「いつも仕事で助けていただき大変感謝しています。妻も、大学受験を目指す息子も、高校受験中の娘も元気にしています。(以下、省略)・・・今年も仕事に精進します。よろしくお願いします」と書かれている。家族全員で笑顔の写真がほほえましい。

筆者はA氏の賀状を見ながら苦笑いしていた。

 

【あざとさで成り立つ日々】

「あざとい」という言葉を聞いたことがあるだろう。基本的には否定的な表現だ。「ずるがしこい」とか「本心ではなくきれいごとだけを言う」といったことであろう。この“あざとさ”だが、最近はいろんなところで幅広く利用されているらしい。しかも、否定と言うよりは肯定的に利用されているらしいのだ。

“あざとさ”を辞書で調べると“小聡明さ”と記されている。聡明さに小がついている。聡明なのだが少しだけなのだ。小利口とも辞書には記されている。利口なのだが少しだけなのだ。浅知恵ともある。知恵はあるが浅いのだ。

人間たるもの、基本的には聡明がもっとも重要であり、あるべき姿であると考える。聡明さを人間たるものは求めるべきなのだが、聡明さを維持し続けるのは大変だ。家族であっても、友達であっても、会社であっても常に聡明であるなんて神業だろう。

筆者が部長として勤務していた会社を例に取ろう。筆者が朝会で言う。「みなさん、今週も全力で頑張りましょう」。これに対してほぼ全員が「はい!」と言う。そうであろう。もしも、誰かが手を挙げて「部長、すみませんが全力で頑張るのは厳しいです」なんて言ってしまえば、せっかくの朝会が、週のはじまりがどんよりしてしまう。

全力で頑張るというのは美辞麗句であり、うわべを装った状況でもある。部長である筆者も社員も本当に頑張ると思っている場合もあれば、全力まではいかずに「ともかく頑張る」もありうるのだ。

 

【あざとい心入】

冒頭の年賀状の話に戻ろう。筆者が勤務していた時に部下のA氏から送られて来たものだ。このA氏だが、毎週月曜日の朝会で筆者に向かって「そんなのできません」とか「無理です」とか言っていたのだ。

A氏が発言するがゆえに朝会は長引くし、他の社員もやる気を失ってしまう。A氏が言うことは本論であり、真っ当なのだ。あざとくないのだ。しかし、こうも毎回、正論として言われると、こちらもいら立ってくる。

A氏が営業成績がトップクラスだったり、コンプライアンス上に優れているというなんらか唯一無二であればまだしも、普通の成績なのだ。あざとさがないがゆえに、正直で、それがゆえに朝会が効率的に進まない。

筆者は何度も何度も、彼を配置転換させたり、子会社に出向させたり、解雇させたりを考えた。しかし、そうはしなかった。その理由が冒頭の賀状なのだ。読者も同じではないだろうか。こんな賀状が送られていればそう簡単に解雇だのなんだの言えないではないか。

賀状の季節だ。こう思いながらA氏の賀状を読みながら、ほんとに“あざとい”のはA氏の賀状であり、A氏だと今頃になって気づかされた。

筆者の心に侵入しているA氏の家族を見れば、誰だってA氏にむざんなことはできない。あざとい心入テクニックだ。ありだと思う。