スルーする力

「というわけでございまして、わが社は1789年1月1日に創業したのであります。和暦であれば寛政元年の1月1日であります。今から230年ほど前に5人で「稲荷寿司屋」として始まりましたが、それが今や従業員が1万人を超える巨大なグローバル企業に成長し・・・あ、手をあげておられますね。ご質問ですか?」

株主総会で社長のあいさつの途中のできごとだ。手をあげていた株主の質問を社長は受けいれた。

株主「1789年1月1日は寛政元年ではなく天明9年ではありませんか?1789年1月25日に寛政元年が始まったと理解してますが、違いますか」

 

【スルー・スキル】

社長は当惑している。すかさずに司会者が「後程、調べさせていただきますのでご着席ください」と質問者を抑える。

さて、ここでの問題は主題からの逸脱だ。株主総会と言うことであれば、会社の業務状況等の株主にとっての必要な情報を得ることが主題となる。社長が話す内容の中でも、会社の経営や株価に影響を与える等の情報を株主は得たいはずである。

冒頭の株主の質問は、質問者当人としては無視できない内容かもしれないが、株主総会で時間を止めてまでするべき質問ではない。参加者(株主)としては会社経営や株価の動向に関する本質ではなく、重要性が場面によって希薄な情報については受け流す力、いわゆるスルー・スキルが必要となる。

社長としては挨拶代わりに寛政元年の創業と言っただけで、株主総会での主軸の話として創業時の話をしたのではない。誰しもが受け流すだろうと考えて、明確な調査のないまま話したものであり、株主達も株価の動向に関する主軸ではないので受け流すはずなのだ。

ここでは、社長と株主達とのコミュニケーションにおける受け流しである“スルー・スキル”の自然な存在が前提となっている。私たちの日々のコミュニケーションにもこのスルー・スキルが自然と活用されているはずである。

しかしながら、近時、スルー・スキルがスキルとして認められなくなっている。スルーすることができなくなっているのだ。ここには、コンピュータ技術の発達による情報取得の容易さがかかわっている。

問題が起きた株主総会の司会者から直接に聞いた話が面白い。「私はすぐにSNSで調べたのです。確かに質問した株主の方がおっしゃった通り、わが社ができたのは寛政ではなく天明でした。でも、私自身がその事実を調べていること自体が、本来の主旨から外れていることに気が付いたのです」。

 

【否定する力】

司会者は筆者にこう言う。「ともかく質問した株主の方に満足していただこうと一生懸命に調べたのですが、その間、司会者の私の本来やるべき仕事がストップしていました。株主総会に参加されている株主全員のための仕事がストップしたのです。あの時に私がやるべきは、『質問は後日お答えしますので、今は、総会の話を進めさせてください』でした」。

SNSの台頭により、情報取得は容易かつ幅広くなっている。すべての情報が“すぐ”に取得できるがゆえに、情報が取得できない場合には、それをスルーする力が“退化”しているのだ。重要性の差別化ができなくなっていると言い換えてもよい状況になりつつあるのだ。

すべてのことを正確に理解し、反応するのはAIにまかせればいい。人間だけが持っているスルー・スキルの重要性と合理性を見直す時期に来ているのではないだろうか。